地震のこと

 はてなでいろんな方が書いているし、私はいいかな…と思っていたのですが、初めての大災害のときに、自分がどうしていたかをあとで思い返すこともあるかもしれない…と思ったので、いちおう記録しておきます。
 
 地震があったとき、私は仕事をしていました。平和な午後で、女子だけだった職場は和やかで、人も少なかったのでのんびりお茶を入れたり、誰かがおみやげのお菓子を配ったりしてました。で、その瞬間、最初小さな横揺れだったので、笑いながら「あ、揺れてる?」と言いあっていたんです。そしたら徐々に揺れが大きくなっていって、どんどん不安に。そのとき、誰かが「あ、あっちの部屋にお客さんがいる!」と言い出したので、避難してもらおう、私が行きます!ともう一人と一緒に廊下を走りました。廊下は船の中みたいにゆらゆら揺れていて、上手く走れない。壁につかまりながら進みました。
 電気が大きく揺れて危険な部屋からお客さんに出てもらい、ふと後ろを見るといろんな扉(防火関係の)がばたばたと開いていて、非常用の扉が開いて、警戒のサイレンが鳴った。それを止めながら、内線で異常がないか確認しつつ、床に落ちたものを拾いながら自分の机に戻りました。
 このあとどうなるんだろう…と外を見ると、電気がついてない。私のところは通常の電気をもらっているところではないので、停電になっていることにも気がつかなかった。とにかく、職場が災害時に特殊な受け入れ先になっていたので私たちは帰ることができない*1。どうしたらいいか不安になっていると、担当部署から連絡があり、指示を聞きながら被害の報告も済ませる。
 外がどんどん暗くなってくると、煌々と明るい職場を目指して帰宅できなくなった人が増えてきて、その人たちからコンビニが閉まっていることと、信号がつかないので有志が交通整理を始めたことを教えてもらったりした。
 結局その日は帰れないので職場に泊まって、次の日も朝から仕事して、計35時間労働ののちに解放。いつもの倍の時間かけて家に着きました。家は本がちょっと倒れただけで、あとは異常なし。茨城に住んでいる家族とはなかなか連絡がつかないのですごく不安だったけど、メールで大丈夫って送られてきたし、昨日になってやっと電気が復旧したみたいで、携帯に電話があったのでそこで安心。
 友達からもぞくぞくメールが来て、みんな無事だったとのこと。ほ。でも一人だけ、家が倒壊した子がいて、本当に何もできない自分が歯がゆかった…茨城にいるみんなに、できることがあったら何でも言って、とメールしておいたけど…。茨城はどこが震源でも結構揺れるので、地震が日常といえば日常ではあるけど、今回は私の地元もばっちり被災しているし(床上浸水した親戚がいた)、ガスと電気は復旧したけど水道はまだだし、もともとスーパーとか少ないからこんな事態ともなると食品だって不足するし、基本は車での移動しかないのにガソリンスタンド復旧してないし、本当に、安全は確認できたけどまだまだ制限が多そう。関東で、あんまり被災地扱いはされれてないけどこういうところ、多いんじゃないかなぁ。
 でも連絡とった人はみんな元気で、がんばるよ!大丈夫!って言ってたのがかえってこっちが元気づけられた感じでした。私もできることしなきゃね。
 被災地の方々、避難所にいらっしゃる方々が早く安心して家に帰れる日が来ますように。

*1:災害時に参集義務があるので、家にいても出勤しなきゃならない